老犬虚に吠えず

社会問題について考える場として

コロナ対策『経済優先か感染対策か』という二択に対する違和感

 

 

 今になって読み返すと、刺々しさがあるツイートであまり良くない気もするので、言葉足らずだった部分を補おうとしてこの記事を書いています。何でこんなツイートをしたのかというそもそもの理由は、『コロナを恐れて経済活動を止めるな』とか『日本ではコロナで亡くなった人は少ないから恐れる必要はない』とか言い始める著名人が見受けられるからです。そして、自分は社会的に影響力のある方にそうした発言をして欲しくはないと思っています。

 

 さて12月になり、このコロナ禍を抜け出せないまま来年を迎える事は確定している訳ですが、自分は福祉・介護の現場で働く職員として、今年は『自主隔離』に近い環境で生活して来ました。『Go To トラベル』や『Go To イート』等、いわゆる『Go To キャンペーン』が始まった後もそれは変わりません。なぜかと言えば、やはり施設で暮らす方々がコロナに感染してしまう事を防がなければならないという職業倫理があるからですし、先のツイートで挙げた通り、最悪の場合、訴えられるという可能性があるからです。

 

 先日、法人内部でこの訴訟の話を出した時には施設長などからも驚きや戸惑いの反応があり、「コロナ感染について法人や施設がどこまで責任を負えるか」という話になりました。正直「ここまでの責任は負えないのではないか」という話も出ました。しかし今後、もし法人内部でご利用者が感染し、重症化して亡くなってしまった場合、ご遺族が施設や法人の責任を問う為に訴訟を起こすという可能性は常にあると考えて行動しなければならないでしょう。この訴訟自体がどの様な判決になるか分かりませんが。

 

 誤解がない様に言っておかなければならないと思うのですが、自分はご遺族に対して『訴えるなんて酷い』と言いたい訳ではありません。

 

 思い返せば、東日本大震災の時に、職場や学校などで避難が間に合わず、主に津波によって亡くなられた方々が多くいました。そのご遺族の方々も、避難指示や災害時の対応について、それぞれの組織について責任を明らかにする為に訴訟に踏み切っています。また同様に、原発事故では当時の東電幹部の責任も問われています。

 

 コロナ禍も震災も、誰かが故意に招いたものではありません。それでも、そこで大切な人を亡くされた方々にとっては、『何とかして救う事はできなかったのか』という想いがあるのは当然の事です。自分が遺族であれば同じ様に考え、同じ様に訴訟を起こすかもしれません。誰かに、どこかに責任があって、そこできちんとした対応が取られていれば助けられたのではないか。そう考える事は自然ですし当たり前です。

 

 自分は今の仕事に就く前は運送会社で事務方をしていたのですが、交通事故に対する対応と似ている部分もあると思います。よく言われる事ですが、(昨今の極端なあおり運転は別として)『事故を起こしたくて運転している人』などいません。それでも事故は起こります。そして事故が起きればそこには責任が発生します。事故を起こしたドライバーにも、彼を雇用し、指導監督すべき立場である会社にも責任はあります。『事故を起こすつもりなんてありませんでした』で許される事などありません。

 

 そしてそれは、コロナ禍についても同じなのだろうと思います。

 コロナに感染したい人などいないし、故意に誰かを感染させてやろうとする人など(普通は)いないでしょうが、結果として感染が起きてしまえば、やはり自分達が責任を問われるしかないのだろうという覚悟がありますし、その覚悟を持って日々生活しています。

 

 自分の場合、最後に隣の市に行ったのは多分10月ですね。隣の県ではなく。

 職場も市内なので、通常は「月に一日も市外へ出ない」という暮らしをしています。

 そして最後に外食をしたのがいつだったか、もうはっきりとは思い出せないです。

 

 職場では『自分自身が不要不急の外出で他県に行かない事』はもちろん、『他県に住む家族を年末年始に帰省させない様に』という指示が出ています。それもはっきりと命令する事はできないので、あくまでも『要請』という形ではありますが。(従業員やその家族の行動に雇用主が大幅な制限をかける事が許される法的根拠や運営規程、就業規則の規定などないので)

 入所施設でこれですから、きっと医療従事者にはもっと厳しい『要請』が行われているのだろうなと思います。

 

 そんな中で「コロナを恐れて旅行をせず、外食をせず、政府の『Go To キャンペーン』に批判的な意見を述べる様な者は批判されて然るべきだ」という意見を目にする事があります。「自分達は政府の方針に賛同し、『Go To キャンペーン』で経済を回すんだ。経営に困っている観光業界や飲食業界を自分達が救うんだ。コロナなんて大した事はない。実際、毎年流行するインフルエンザでの関連死や、経営が行き詰まったり雇い止めを受けたりして経済的に困窮し、自殺してしまう方の方がコロナ関連死よりも遥かに多いじゃないか」という意見がそれです。

 

 一理あるとは思います。『人の死を死者数の多寡で評価する』という部分については全く同意できませんが。それを許すと多数を救う為に少数を犠牲にする事が常に正しいという地獄が待っているので。

 

 実際、観光業や飲食業は相当な打撃を受けています。休業や廃業を余儀なくされている方も多いでしょうし、『Go To キャンペーン』のおかげで何とかしのげたという方もいるでしょう。その事を否定しません。自分は職業上絶対に協力できないとしても。

 

 その上で言います。

 『Go To キャンペーン』に限らず、このコロナ禍の中で『人の往来を増やして経済を回す』という施策を行った事によって、もしも各都道府県の市中で感染爆発が起きたら、そしてそれに自分が巻き込まれた結果として施設内感染に繋がったとしたら、自分達はその責任までは負えません。

 

 自分達が背負っている責任は、現状で既に個々人が背負いきれる責任の上限まで行っています。自主隔離に近い生活をして、ギリギリのラインで暮らしているんです。それでも食料品や消耗品を買う為には買い出しに行かなければならないですし、定期的に通院しなければならない人もいます。職場以外で誰とも会わずどこにも行かずに暮らせる人などいませんし、同居する家族も同様です。子どもがいれば学校にも行くでしょう。感染経路を全て遮断する事など不可能です。そんな中で、仮に市中レベルで感染爆発が起きたら、感染予防をどれだけ行ったとしても、自分が感染するという『事故』は防げないと考えます。どんなに安全運転を心掛け、運転支援システムの付いた車両に乗っても突発的な事故を無くす事ができない様に。

 

 『経済を取るか、ご利用者の命を取るか』と言われれば、自分達に経済を取るという選択肢はありません。

 

 そもそもこの二択を迫られる事自体があり得ないと思うのですが、これって端的に言えば『経済を救う為に、お前たちが死ね』という話なんですよね。ここで言う『お前たち』というのは重症化リスクの高い高齢者や、施設入所者や、福祉・介護職員や、何よりも医療従事者の事なんですが、そういった特定の年齢や属性、職業を持った人々を危険に晒す方法でしか経済は回せないというのが現在の政府の方針の様です。

 

 でも、こうした『経済か感染予防か』という二択を、よりによって国民の判断に丸投げして来られても、こっちはこっちで既に自分の責任で手一杯なんですが、としか言えないと思いませんか? 自分は思います。「積極的に旅行に行って下さい。外食もして下さい。できるだけお金を使って下さい。でも感染予防は出掛ける側も受け入れる側も自己責任で完璧にやって下さい」って、言っている事が割と無茶苦茶だと思います。

 

 何より『経済か感染予防か』という分断線を引かれて、結果自分達国民が対立しなければならない事が理解できないですね。

 

 自分だって観光業界や飲食業界の方々が苦しい状態にある事を、仕方ないとかそのままでいいとは言えません。イベント会社等も三密回避や感染予防で中止が相次いで相当経営が苦しいとも聞いていますし、映画業界も公開延期等で相当苦しい思いをした筈です。クラスターの発生で『夜の街』などと槍玉に挙げられる事が多かった歓楽街やライブハウス等もまだ回復はできていないでしょう。それでも二択を迫られた時、絶対に経済優先を選べない立場の人々がいる事を理解した上で発言して欲しいと思うだけです。

 

 ましてや、経済優先の行動を取らない、取れない人々を『情弱』『コロナ脳』などと言って揶揄するのは、感染予防について何ら責任を負わなくてよい『外野の妄言』として受け止められても仕方ないと思うのです。「こっちは何かあったら実際に訴えられる立場なんですが、それを分かって言ってるんですよね?」って言いたくなります。それに冒頭で挙げた訴訟問題の様に、家族を亡くされた方に『それはコロナのせいではなく寿命だ』と言えますか? とある著名人は同様の発言を各所でしている様ですが、自分が当事者ではないから言えるだけの事でしょう。訴える側でも、訴えられる側でもない。そして現在経営が苦しくなっている事業主でもない。そうした『外野』が、無責任に言論人として適当な事を言い、それに賛同する人々が群がる。よく自分はまだ正気で生きてるなと思いますね。少なくとも今の所は。

 

 この正気がいつまで持つか、保証は無いですが。