同じ色の血が流れているからこそ・小泉悠『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』を読む
ウクライナで戦争が始まってから3ヶ月が経過した。戦争と言っても、ロシアのプーチン大統領はこれを戦争だとは認めていない。その異様な『特別軍事作戦』は、これを書いている2022年6月1日現在もまだ続いている。
ロシアに対するイメージは、このウクライナ侵攻を経て急速に悪化している様に思う。実際に、日本で暮らすロシア人に対するバッシングは酷いものだ。特に商店や飲食店等を経営している場合には、グーグルの口コミなど、ネット上に店の悪評を書き込む荒らし行為が横行しているし、嫌がらせの無言電話をかけられたり、実際に店の看板を壊されたりした等の被害も耳にする。
こうした行為は、やっている側の人間にとっては『正しい事』なのでたちが悪い。
自分は正しいと思っているから遠慮がないし、歯止めが効かない。どこまでもエスカレートして行く。そして、なぜ一方的な批判をする側に回れるかというと、「自分ならこんな事(他国に戦争を仕掛けたり、一般市民を虐殺したり略奪したりといった非道な行い)は絶対にしない」という自負があるからだ。
逆に、自分もいつやってしまうか分からない様な事を、人はそこまで強く否定できない。
何でも良いけれど、例えば『誤字脱字』の類。タイプミスやフリック入力のミス、漢字の誤変換なら誰でもしょっちゅうやっているし、それを見落としてSNSに投稿してしまうなんていう事もある。だから他人の誤字脱字にも比較的寛容で、仕事上の文書や公文書、出版物の原稿でもなければわざわざ指摘しないし、前後の繋がりで意味が通るなら、読む側が読み替えればいいと思う人が大半なのではないだろうか。逆に個人がやっているSNSのつぶやき程度の誤字にやたら厳しい人がいると、別にその程度いいじゃないかと周囲からたしなめられてしまったりする。
交通事故もそうだ。不注意による過失なら自分も事故を起こしてしまう可能性はある。その一方で、自分の意思さえあれば加害者になる事を100パーセント防ぐ事が可能な飲酒事故に向けられる目はもっと厳しい。
この様に、自分ならば絶対に行わない行為や犯さないだろう過ちに対して、人は厳しい。だから今のロシアは絶対的に間違っているし、現地で非道な行いをしているロシア兵も当然許せなければ、日本にいて祖国の間違った行いを止める事もできないロシア人もまた許せないという事になる。何らかの(私的な)制裁を加えてやらなければならないという『ブレーキの壊れた正義感』に突き動かされて行く。
でも、自分は疑問に思う。
自分は、自分達は、本当に今ロシア兵がウクライナ人に対して行っている様な非道な行為をしないと言い切れるのか。絶対に、何があっても。
ロシア兵は悪魔であり、良心の欠片もなく、だからこそウクライナ侵攻の様な酷い事をしているのだ。奴らは人間ではない。自分達とは違うものだ。そういった前提に立って物事を考えたくなるのは、それが単純に楽だからだし、安心できるからだ。それが正しいからじゃない。
でも、繰り返しになるが、ロシア兵の蛮行は本当に自分達と関係がないのか。ロシア兵は人の心を持たない存在なのか。当然、そんな訳がない。
本著はロシアによるウクライナ侵攻の前に企画されたものだろう。当然、現在の情勢を受けて内容は大幅に見直された様だけれど、本著の趣旨は『はじめに』に書かれている通り、『ロシア人とはいかなる人々で、ロシアではどんな生活が営まれているのかを、なるべく身近でわかりやすく理解してもらおう』という事にある。そしてまた著者の小泉氏は以下の様に述べる。
こんなひどい戦争を始めたロシアのことなど理解したくない、という意見もあるでしょう。しかし、理解することと賛同することは違いますし、政府と社会も(完全に切り分けることは難しいものの)やはりイコールではありません。
ロシアがどんな国であるのかを理解することなくしては、この戦争を止め、二度と繰り返させないようにできないのではないでしょうか。いうなれば、我々が今、なぜこのような悲劇を目の当たりにしているのかを理解するための補助線になればよい、というのが本書にかけた願いです。
その願いが、本意が、多くの人に届くと良いと思う。
本著の出版と昨今のロシア、ウクライナ情勢もあって、著者の小泉氏も様々なメディアに出演していたけれど、その中で文化放送の『ロンドンブーツ1号2号田村淳のNewsCLUB』という番組のアーカイブがYou Tubeにアップされていた。それを見た時に印象的なやり取りがあったので大まかに書き起こす。
(動画:33分頃から)
田村:この「スーパーのルールが独特」っていうのはこれどういう?
小泉:(笑)スーパーのルールが独特っていうのは、あの、今はもう最近だいぶそういう店は減ったんですけど、僕の住んでいた頃のロシアのスーパーっていうのは、店に入る時にカバンを全部預けなきゃいけなかったんですよね。
田村:万引き防止?
小泉:万引き防止。で、万引き防止なんですけど、そこがまたロシア人の『不信』と『信頼』の入り混じってる部分で、僕みたいな男の場合は、その、入口にまた凄い怖い警備員がいるんです。「お前、カバン!」とか言われるんですけど、何かね、女性は別にカバン持って入ってもしれーっと何も言わないし。(苦笑)妙にこの『女性と子どもには甘い』という所が、またこのロシア人の不思議な所なんですよね。
田村:へぇー。(笑)
小泉:1回、もう明らかに何か『半分ホームレス』みたいな貧しいおばあちゃんが入って来て、明らかにジャガイモをポイポイポイポイ自分のカバンに詰め込んでるんですけど、警備員もしれーっとしてたりとか。(苦笑)
田村:それ、もう『見過ごしてあげる』って事ですか?
小泉:そう、きっとかわいそうだから見過ごしてるんですよね。
砂山:小泉さんの本の中に、結構『弱い人にもの凄く優しい』っていうエピソードが結構出てるんですよね。
小泉:でも、何かそういうね、そのロシア人の『弱者に優しい』っていう所は、凄い僕、良い所だなって思ってただけに、今回やっぱりロシア人がウクライナで、ああやって同胞の民族に対して本当に酷い目に遭わせているっていうのは、もう「『あのロシア人』と『このロシア人』はどう結び付くんだ?」っていうのは本当に悩んじゃう所ですよね。
自分は思う。『あのロシア人』も『このロシア人』も、一人の人間の中にあるのだろうと。世の中には良い人もいれば悪い人もいるなんていう一般論ではなく、例えば自分の頭の中にもきっと『両方の自分』が存在し得る。あの自分と、この自分みたいに。
女性に優しかった人が戦地では婦女暴行をしているかもしれない。
子どもの頭を撫でていたその同じ手で、避難所になった学校を砲撃する人がいたかもしれない。
貧しいおばあさんの万引きを見過ごしてあげた警備員は、戦地に行けば自分が略奪行為をするのかもしれない。そして戦地から奪って来たものを、自分の大切な人に贈るのかもしれない。何食わぬ顔で。
そうした、一見矛盾する面が折り重なる事で人間という立体は構成されているのかもしれない。そんな想像をしてしまう事は、嫌な事だけれど。
だから逆説的にではあるけれど、思うのだ。
ロシア兵は悪魔じゃない。確かに血の通った人間だ。でも血の通った人間だから非道な行いをしないとは言えない。それと同じ様に、自分は、自分達は常に正しいとも限らない。極限状態に放り込まれれば、自分だって今のロシア兵の様な事をするかもしれない。今はロシア兵を非難する立場だったとしても。
繰り返しになるが、それは本当に嫌な想像ではある。
でも、その嫌な想像をしたくないから、ロシア兵の、或いはロシア人全体の人間性の問題に全てを押し付けて一刻も早く安心してしまいたいと願うのは、端的に言って『怠惰』だ。なぜ怠惰であってはならないかと言えば、それは次に自分達が今のロシアと同じ過ちを犯さない様にする為だ。
『弱い人にもの凄く優しい』一面を持つロシア人が、ウクライナでは女性や子ども、高齢者といった弱者を巻き込み、街を灰燼に帰す様な作戦を遂行できるのなら、自分達にだって当然それはできる。できてしまう。その事実と向き合う事。
唐突だけれど『てめえらの血はなに色だーっ!!』って、『北斗の拳』に出て来る有名なセリフがあって、それは人でなしに向けた言葉としてもうネットミームというかネットスラングになってしまっているけれど、それはあくまでも漫画のセリフであって、実際には同じ色の血が流れているに決まっている。何をしている、どんな人間であっても。人間である限り同じ赤い血が流れている。
だからこそ、物事は単純じゃない。
青い血でも白い血でもなく、同じ赤い血が流れている者同士がお互いを害しているからこそ、その酷い現実を受け入れて行くのは難しい。
でも、だからこそ、その否定できない不都合な現実を受け入れた上で各々が自分に何ができるかを考えて行くべきなんだろう。自分達は悪魔でも機械でもない。でも、悪魔の様にも、機械の様にもなってしまう事ができる。置かれた情況が変われば。上に立つ指導者に強要されれば。だったら、それを避ける手段、乗り越える方法は無いのか。
それを考え続ける事が、少しでもこの社会をマシなものにして行く唯一の方法なのかもしれない。