cakesのホームレス記事は何が間違っているのか②
前回の記事で、『なぜ自分達の人権意識は低いままなのか』という問題についての回答を宿題にしていました。今回はそれについて書きます。
前回自分はその理由を『日本の教育の失敗』だと書きました。そして『失敗というよりも、人権について学習する機会を与えて来なかった』とも書きました。
具体例を出します。自分は40代男性ですが、自分が中学生だった30年ほど前には、全国の中学校で『丸刈り校則』の是非が問われていました。念の為に説明すると、丸刈り校則というのは男子生徒の髪型を丸刈りにすることを強制的に定めている学校教育での校則の事です。女子も「おかっぱ頭にするか、黒いヘアゴムで髪を束ねる事」という校則がありました。
当時ですら、この校則は時代錯誤ではないかという保護者からの声があり、自分が中学校に進学する時にも校則見直しの要望が多くありました。それに対する学校側からの回答は「ようやく生徒の非行が収まって来たところであり、現在校則を改正する事は検討できない」というものでした。この意味が分かるでしょうか?
人権意識を生徒に教えるべき教員が、既にこの有様だったという事です。
当時、生徒の非行について教員=大人がどんな対応をしていたかと言えば、理不尽な校則を守らせ、守れない者には体罰を加えるという極めて雑なものでした。学校の秩序を守る為ならば体罰は容認されていました。
例えば夏休みの間に男子生徒が髪を伸ばし、休み明けに角刈りやスポーツ刈りのまま登校して来ると、生活指導の男性教師が生徒を指導室に呼び出し、椅子に座らせた上で、その座った椅子から転げ落ちる程の力で顔面を殴る様な事も平然と行われていました。それは言ってみれば『見せしめ』であり、校則違反=教師への反抗・校内秩序を乱す行為には体罰という制裁が課せられるのだという事を、校則違反をした生徒だけでなく、その他の生徒にも理解させる為の行為でした。
今では信じ難い事かもしれませんが、当時は殴られた生徒の両親も、「校則違反をした我が子が悪い」という姿勢で、教師の体罰が問題視される事はありませんでした。今でも「教師の体罰が許されていた頃が良かった」という妄言を呟いている方がまれにいらしゃいますが、そうした大人たちの人権意識など推して知るべしという事です。
人権というものについて、自分達は学校で習った筈です。でもそれは『日本国憲法には基本的人権の尊重や法の下の平等が定められているよ』という一行知識で終わってしまっていて、『自分が持っている人権』と『他者が持っている人権』を互いが尊重した上で、具体的にどの様な人間関係や社会、共同体や国家を構築して行くべきかという具体的な中身は何もありませんでした。そこにあるのはただひとつです。
これだけです。
その『ムラ社会』の範囲は様々です。家、学校、職場、市や町、社会構造、国家。日本ではそれらの多くが『ムラ社会』として成立していました。ムラの中の秩序を維持する為には、個人の権利や人権はことごとく無視されました。学校で人権について本質的な事を子どもに教えられる大人などいなかったし、自分も教わった覚えがありません。むしろ個人の権利を主張する様な事は、大人だろうが子どもだろうが『わがまま』として忌み嫌われるのがこの国でした。『人権屋』という別称を聞いた事もあるかもしれませんね。
例えば自分が勤めた会社の中には、産休や育休を取得しようとする女性社員に対して、他の女性社員が「産休はともかく育休を取るなんて、周りの迷惑を考えていない。自分は子どもを産んだらすぐに職場復帰したのに、彼女は会社に迷惑を掛けているのが分からないのか」と言っていましたし、有給休暇を取得しようとする時に、理由書を提出させ、その理由について社長が納得しないと単なる欠勤として処理する様な慣例が『常識』として通用している企業もありました。
ムラ社会での悪は、ムラの秩序を乱す事です。
要求の正当性や人権意識などそこでは何の意味もありません。だからブラック企業も、各種のハラスメントも、非正規雇用が増え続ける事も、外国人技能実習生が使い潰され捨てられる事も含めて、人権無視がどこまでもまかり通る事になるのです。ムラの秩序という正義を守る為に。
極論を言えば自分より上の世代で、義務教育の中で人権についてまともな教育を受けた大人などいないと思います。それでも高い人権意識を持つ事ができている人は、自分の様にそれが必要とされる職業に就いたから学べた人か、義務教育を終えてから高校や大学で習ったか、さもなければ独学だろうと思います。
もうひとつ絶望的な事を書きます。
自分は福島県民ですが、ある県議会議員についてよく知っています。なぜ知っているかというと、彼は自分が中学生の頃に『丸刈り校則』を支持していた中のひとりだからです。確かその頃は市議会議員だったでしょうか。彼の名誉の為に名前は伏せます。
その議員が県議会議員選挙に立候補した2015年に、市民団体『ダイバーシティ福島』が立候補予定者77名に対して『ダイバーシティ(多様性)の尊重に関するアンケート』を実施しました。回答者は39名。回収率は50.6%で、既にこの時点で関心の低さが分かります。
diversity-fukushima.jimdofree.com
その県議会議員はこの時の選挙に当選しただけでなく、今現在も県議会議員ですが、彼のアンケートの回答はお世辞にも人権意識が高いとは言えないものです。以下何点か引用してみましょう。
性的マイノリティの直面する困難を解決するための以下ⅰ~ⅵのような施策は福島県において必要であると思いますか?A~Dのうちで、最もよく当てはまる答えに○をつけてください。また、明確な理由がある場合は併せてお答えください。
ⅰ 性的マイノリティに対する差別を禁止する条例を制定する
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【B】
理由:記入なし
ⅱ (婚姻に準ずる)同性パートナーシップ制度などを導入する
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【B】
理由:記入なし
ⅲ 同性愛・トランスジェンダー・性同一性障害などを含めた性の多様性に関する学校教育を充実させる
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【B】
理由:記入なし
ⅳ 性的マイノリティに対する差別や権利侵害に特化した相談窓口・救済機関等を設置する
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【B】
理由:記入なし
ⅴ 各種申請書類などの公文書における不必要な性別欄を削除、または柔軟な対応を行う
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【C】
理由:記入なし
ⅵ 公的施設におけるユニバーサルトイレ(男女の性に関係なく誰でも利用可能なトイレ)の設置を推進する
【A】はい 【B】いいえ 【C】わからない 【D】その他
回答:【B】
理由:記入なし
1-5. 性的マイノリティが直面する困難に関して、ご自身のお考え等を自由にお書きください。
回答:記入なし
質問については「いいえ」か「わからない」と答え、記述式の部分は全て「記入なし」です。そして賭けてもいいですが、彼に5年後の今同じ質問状を送ったら、同じ様に「いいえ」「わからない」「記入なし」で回答すると思います。5年の間、何も勉強していないし、その必要性も感じていないでしょう。なぜならムラ社会では人権問題についての高い意識など求められないし、無知なままでも選挙で勝てるからです。他にも『民族的マイノリティについて』『男女共同参画社会の推進について』という設問もありますが、回答内容は似た様なものです。
そしてこの日本では、彼と同レベルの大人たちが会社を経営し、学校教育や地方自治や国政の中で責任ある役職を得ています。彼等は自分達が知っている『ムラ社会の原理』でこの国を動かしている訳です。今現在も。人権について何も知らないままで。
だから、日本には人権意識が根付かないのでしょう。皆が『家庭ムラ』『学校ムラ』『会社ムラ』『日本ムラ』の和を乱さない為に、自分の人権が無視されても仕方ないと思って生きている訳ですから。
これを変えようと本気で思うのなら、遠回りに思えてもやはり『教育を変える』しか手はないのだと思います。件の県議会議員の様に、人権無視が染み付いた世代の大人はもう自分の考えを変えられないでしょう。そういう方々が役目を終えて引退して行き、人権意識が高い世代と入れ替わって行くのを待つしかないのです。その為には現状の、何もしていないに等しい人権教育を変えなければならない。
だから、前の記事で言及したcakesのホームレス記事の様に「この人は人権について考えた事があるのだろうか」という文章を読んでも、自分はそれを「個人の人権意識の低さ」だとは思えないんですよ。それは「自分達全員の人権意識の低さ」がベースになっているからです。もっと言えば、自分達の人権意識は、この日本の現状を容認しているというだけで既に「マイナスからのスタート」だと思った方が良いと思います。誰も本当は人権なんて気にしていないし、知らないんです。かろうじて自分達がこの社会を維持できているのは、『ムラ社会の掟』に従っているからで、それは人権意識から最も遠い価値観なんですよ。
その受け入れ難い前提を受け入れた上で、自分達に何ができるか。
あのcakesの記事が、せめてそうした問題を考える契機になれば良いと思います。