老犬虚に吠えず

社会問題について考える場として

落ちぶれた僕らにとって『おぼっちゃまくん』はなぜ笑えない漫画になったか

 景気の悪い話は年内で終わらせて、来年は少しでも希望が持てると良いなと思ったのでこんな「書いてる自分ですら読みたくない様な記事」を書いているんですが、その中で小林よしのり氏は『コロナ論』を描くくらいなら『おぼっちゃまくん』の続きでも描いてたらいいのに」と書こうとして、既に『新・おぼっちゃまくん』が始まっていた事を今知りました。正直一生知らなくても良かった。

 

 何でこんな書き出しなのかというと、このコロナ禍もそうですけど、自分の様な中年って『失う事に慣れ過ぎた』部分があって、バブル崩壊リーマンショックだ震災だロスジェネだコロナ禍だっていう流れの中で『日々失い続けているものに気付かない』状態になってしまったんですよね。そして若い世代はもう『景気が良かった頃を知らない』状態になってしまっている。更にそうした『世代間格差』っていうのは、まあ縮まらないんですよ。

 

 じゃあ日本にとってバブルの頃が一番良かったのかというとそれはそれで問題がありますが、それを棚上げして言うなら「少なくとも貧困問題は今よりマシだった」と言えるんじゃないでしょうか。

 

 それが何で『おぼっちゃまくん』の話に繋がるのかと言うと、あの漫画は今40代前半の自分が小学生の頃にコロコロコミックで連載されていたんです。どんな漫画なのか知らない方はWikipediaを読んで頂ければと思います。(自分はこれから小学生の頃の記憶に頼って記事を書くので詳細は記憶違いなどあるでしょうけど、単行本とか持ってないのでご了承下さい)

 

 この漫画の主役は『おぼっちゃまくん』という並外れた金持ち(巨大財閥の御曹司という設定)なんですが、そのクラスメイトに『貧ぼっちゃま』というキャラクターがいるんです。彼も昔は裕福な家柄だったんですが、親が事業に失敗したか何かで没落して生活保護以下の暮らしをしているんですね。で、代表的な台詞が『落ちぶれてすまん』なんですよ。ただ彼には落ちぶれても元上流家庭だというプライドもあって、『前半分だけ立派な服を着ている』というキャラなんです。後ろ半分は裸なんですけどね。あと、確か履いている靴は『靴底がないから実質裸足』っていう。

 

 冷静に考えたら「前半分だけ立派な服」なんていう特殊アイテムを買うにしろ作るにしろ余計なコストがかかって仕方がないと思うんですが、そこはギャグ漫画としてのわかり易さが優先されているので突っ込んでも意味はないです。意味があるのは、貧ぼっちゃまは自分が『落ちぶれた』という事を自覚していたという事です。現実に生きる自分達と違って。

 

 デフレという言葉で片付けてしまいがちなんですが、自分達の生活ってどんどん『お金をかけない』方向にシフトしていて、それは自分も含めてお金がない人にとっては歓迎すべき事でもあるんですが、言い換えれば『市場規模の縮小』とか『経済の後退』とか『ゆとりの無い暮らし』でもあって、これがずっと続いているんですよね。自分達が『落ちぶれた』事から目を逸らしている間にも。

 

 例えばユニクロがフリースを売り始めた頃、ユニクロの服が何て言われていたかというと、実は自分の周りでは『オタクの人民服』っていう言葉があったんです。自嘲として。要するにこうです。

 

 ①ユニクロの服は安い割に質が良いし見栄えもそこそこ

 ②オタクは服にかけるお金があったら趣味に回したい

 ③だからオタクがこぞってユニクロの服を買う

 ④オタクは皆ユニクロの服を着ている→オタクの人民服

 

 『オシャレにお金を使わない事が恥ずかしい』という価値観が、まだかろうじて生き残っていた時代でした。まあそんな価値観もその後すぐに死んで、ファストファッションのブランドが時代の寵児として君臨する様になり、オタクの人民服は『日本人の人民服』になりましたが。

 

 『Levi's』や『EDWIN』の様な1本1万円前後のデニムを普通に履いていた人も「ユニクロがこの価格で出して来るならこれでいいや」になって行き、結果として大手のブランドも価格競争に参加せざるを得ない状態になりました。だってユニクロのデニムやチノパンなら2~3千円で買えるわけじゃないですか。まあユニクロじゃなくしまむらでもいいんですが、ただ着るだけなら品質的に問題ないもの(その代わり生産現場や販売員の労働環境には大問題があるんですが)が安く買えるのに、あえてそれ以上のお金を出して高い品物を買う事は、必然的に『贅沢』になって行くんですよね。

 

 こうして、かつての『普通』が『贅沢』に切り替わって行って、自分達は『落ちぶれた事に気付かなくなった』んだと思います。

 

 だって『着ている服は貧ぼっちゃまみたいに後ろ半分が無い訳じゃないけど、服にかけるお金は半分以下になった』じゃないですか。これ、ギャグ漫画だったら『落ちぶれてすまん』って言わなきゃいけない所なんですよ。全然笑えないけど。

 

 そしてユニクロがオタクの人民服だった頃は、まだオタクも『趣味には全力でお金を使う』みたいな所があって、それは単に個人の可処分所得の割り振りの問題だったんですが、現在の様に貧困が大きな問題になると、結局は『被服費を削った分が他の消費に回る』事すらなくなって『被服費も削るし食費も削るけど、削れない固定費(通信費とか光熱水費とか家賃とか)だけが残る』みたいな有様になるんですよね。それに対する国の施策が「スマホの通信費が高いから安くしてやれよ」っていうものになる辺りが割と終わってる感が漂ってますけど。

 

 で、気付いたんです。「これはまだまだ萎んで行く」っていう事に。そして世代間格差は開く事はあっても縮まる事はないっていう事に。

 

 最近、個人的に気付いたのは「音楽を聴くという行為を『Spotify』で済ませようとしている自分の落ちぶれ」なんですが、これって着ている服が全部ユニクロになったのと同じで、CDアルバム1枚に3千円払う『普通』が『贅沢』に切り替わった瞬間だなって思ったんですよね。自分が無意識に趣味にかけるお金まで削ろうとしているという事に気付いてしまった訳です。

 

 Spotifyみたいなサブスクに月々定額払うとして、仮にプレミアムのスタンダードプランで毎月980円支払ったとしても「CDアルバム1枚3千円の世界」から切り替えたら「3ヶ月は好きなだけ音楽が聴ける」訳ですよ。じゃあ自分はこれまで年間何枚アーティストのCD買ってたのって聞かれれば、多分その枚数分の金額で一年回せた上でお釣りが来てしまうんです。もっとも「無料プランのSpotifyから音源を抜くツール(というかパソコン内で擬似録音するツール)」みたいなアプリが普通に売られている辺りが更に闇なんですが、正規のサービスを使うにしてもまあ常軌を逸した安さですよね。レンタルよりもまだ安い。そして違法ダウンロードしている訳ではないから良心が傷まない。映画とかテレビ番組もそうですよね。「わざわざブルーレイ買う?」っていう。「Netflixとかで良くない?」っていう。もう「レンタルショップでDVD借りるよりその方が安いじゃん、返しに行かなくていいし」っていう世界。オタクが家の棚にぎっしりDVDのパッケージを詰め込んでライブラリを作る事が『普通』だった世界が終わって、それが『贅沢』になった世界。

 

 でもそれって「自分はもう映像作品や音楽にこれ以上のお金を払うの辛いから止めるね」って言ってるのと何も変わらないんですけどね。そりゃこれだけ消費者が落ちぶれれば業界も衰退するわっていう。

 

 仮に「好きなアーティストのCDだけは買おう」みたいな『贅沢』を自分に許すとしても、そこからはみ出していく「サブスクで聴ければいいや枠」に押し込まれたアーティストにとっては、ただでさえ安いサブスクの利用料(そもそも無料版で済ませるユーザーもいる)という小銭をかき集めて運営会社の取り分を差し引き、それを更に登録アーティスト全員の楽曲再生数割合で按分したものがやっと自分達の取り分として入って来る(そこからも多分所属する音楽会社が取り分を引いたりするだろうけど)っていう『割と地獄』な状態が『これからの普通』になる訳で「パッケージで売る初回版にはPVやライブ映像入れたDVD付けますんでどうか現物買って下さい」っていうのが多分最後の手段なんだけどそれは焼け石に水だよっていう。漫画も同じ様なサブスク系、無料系のサービスが出てますし、これから同じ様になって行くんでしょう。

 

 そこで話がおぼっちゃまくんに戻るんですけど、作者である小林よしのり氏もあの漫画をもう一度描けばさすがに気付くだろうと思ったんです。何って、『自分達は落ちぶれたんだ』っていう事に。現実は多分違っていて、まだ気付かずにいるのか、気付いてて無視してるんでしょうけど。(多分後者)

 

 小林氏が個人的にお金を持っているかどうか、彼の漫画が売れているかどうかとは全く別の所で、庶民の暮らしって総じて落ちぶれたんですよ。おぼっちゃまくんの友達には親がサラリーマンをやっている庶民の男の子がいて、当時の読者層って多分その平凡な庶民の男の子目線だったと思うんです。そこから金持ちや貧乏人の奇行を見るとギャグになるっていう。でも今って、かつての中流がどんどん落ちぶれて貧ぼっちゃま化している訳で、そこから見るおぼっちゃまくんってもう笑えないんですよ。それ以前に『他人の貧乏を笑いのネタにするのってどうなんだ』っていう部分がありますが、それはそれとして。

 

 多分、今おぼっちゃまくんをリアルに描き直したら、庶民の男子はそもそもおぼっちゃまくんと同じ学校には通えないし、きっと両親は共働き(もしかしたら非正規雇用)で着ている服はファストファッションだと思うんですよね。そして貧ぼっちゃまは前半分だけ立派な服を着るなんていう余裕ももうなくなってて、本当は兄弟を子ども食堂に通わせたいんだけど、プライドが邪魔をして絶対に子ども食堂なんて使わないし生活保護だって申請しないぞみたいな妙なこじらせ方をしてるんでしょう。で、おぼっちゃまくんのライバルだった男子はSNSで人気者になろうとして『お金配りおじさん』みたいな事をしてひんしゅくを買ってるんじゃないですかね。おぼっちゃまくん本人は友達になってくれる庶民の男子ももういないから、サムスンのナッツ姫みたいにゴーマンかまして不祥事で袋叩きにされてるんじゃないでしょうか。もしくは彼の許嫁だった女子からセクハラと人権侵害で訴えられてるか。

 

 だから自分は、どうせやるならもういっそ貧ぼっちゃまを主役にするべきなんだろうと思うんです。あらゆる『落ちぶれ』にツッコミを入れさせる為に。

 

 普段着がユニクロになり、アウトドアウェアやライダースジャケットがワークマンになり、映画がネトフリになり、CDがSpotifyになり、家具がニトリに、食器や生活雑貨が百均になり、食料品等が値段はそのままで内容量が減り、それらを『落ちぶれた』と認識せずに済んでしまっている社会に『慣れてしまう』事の弊害は、それが『普通化される事ですよ。それが普通になったから、最初からそうだから、いっそ便利になったから、別におかしくないと皆が思う様になる。普通だったら改善する必要もないし、落ちぶれた身分から這い上がろうとしなくてもいいじゃないですか。皆それが『普通』なんだから。

 

 それが、まだ続くんです。きっと来年以降も。もっともっと酷くなるかも知れない。

 

 そして自分みたいな庶民以下の人間にはそれに抗う力がないし、むしろ積極的にそうしたダメなサービスを利用してでも自分の暮らしを守らなきゃいけない。収入が増える予定が無いんだから、支出を減らして行かなきゃいけない。それが負のスパイラルになる事を知った上でも。

 

 事程左様に自分達は落ちぶれている訳ですが、そろそろ怒らないと、多分ゆっくりと皆死んで行くよねっていう気がしています。来年はどうでしょうね? ちょっとは希望が見えて欲しい気もしますが。