老犬虚に吠えず

社会問題について考える場として

『須賀川特撮アーカイブセンター』に見る、地域振興における文化財の活用について

 随分と硬い題名で始まりましたが、要するに『地元民がようやく特撮アーカイブセンター行ったよ』という話です。ですが、それだけだと味気ないので、これまでの地域振興における須賀川市『やらかし』的な話とも絡めて行きたいと思います。

 『須賀川特撮アーカイブセンター』に関しては以下のツイートに写真を掲載していますので御覧下さい。

 

 

 で、内容的には大満足ですし、「特撮が好きなら半日は過ごせるだけの収蔵品の数々が皆様をお待ちしております」というポジティブな内容だけ書いてもいいと思います。その方が地元民としてもきっとプラスになります。ただ、悲しいかな我が地元は先に述べた通り、これまで様々な事を『やらかして』来たので、ちょっと釘を刺しておこうという思いもあり、「頑張れ!」という叱咤激励も兼ねて厳しい事も書きます。

 

 上で書いた通り、自分は福島県須賀川市で生まれ育ちました。

 

 須賀川市には郷土の偉人として、二人の『円谷』がいます。

 ひとりは『特撮の神様・円谷英二もうひとりは東京オリンピック マラソン銅メダリスト・円谷幸吉です。

 

 さて、この事をご存知だった方は何人いるでしょうか?

 

 まあ、自分のブログの読者は多くないので誰も知らなくてもおかしくはないのですが、それに加えて地元は元々情報発信力が弱くて、宣伝とか広報って苦手なんです。

 

 東京オリンピックと特撮と言えば、NHK大河ドラマ『いだてん』がありましたね。そしてもちろんシン・ゴジラも大きな話題になりました。

 ですが、そのふたつの『大きな波』に対して、地元須賀川はいまひとつ乗れていなかった様な気がします。

 

 須賀川市は今でこそ円谷英二ゆかりの地、そしてウルトラマンの街として『M78星雲 光の国』との姉妹都市『すかがわ市M78光の町』を標榜していますが、もっと昔にはゴジラの町』を目指していた時期がありました。

 

 地元には『乙字ヶ滝』という小さい滝(一応「日本の滝百選」のひとつみたいです)があり、そこにゴジラの卵』ゴジラの足跡』というモニュメントを設置していました。それに加えて、山肌をライトアップしてゴジラの輪郭を浮かび上がらせる、なんていう事もしていました。それらは自治体主導ではなく、地元の青年会議所によるささやかな町おこしプロジェクトだった様です。

 

 でもそれらは令和3年3月現在、全て撤去されています。

 

 確かゴジラの卵は一部破損した後、不審火で焼失して再建されず、ゴジラの足跡(といっても地面を掘って固めただけに近いものでしたが)は埋め戻され、ライトアップは火災の原因になるのではとか、或いは節電という事で撤去されたと聞きます。

 

 そして須賀川市からゴジラの面影が薄れた頃に、『シン・ゴジラ』が公開されます。

 

 『シン・ゴジラ』公開の3年前、須賀川市ウルトラマンの町』になる事を目指していました。

 2013年5月には先に述べた『M78星雲 光の国』との姉妹都市提携が発表され、須賀川駅前にウルトラマンの石像が作られます。そして2015年には中心市街地にウルトラマンや怪獣のモニュメントが設置され、その後も数を増やして行きます。

 それ自体は良い事かもしれませんが、結果として地元は前述した大きなブームに乗りそこねました。

 

 福島県須賀川市も、東日本大震災からの復興を目指す中で一番の問題は『人口減少』だと思います。福島県全体としては当然原発事故の影響もありますし。そんな中で『どうやって地域振興をして行くか』というのは大きなテーマです。この町をどの様にデザインして行くか。何を軸にするか。どんな将来像を描くか。

 

 地元民の自分が言うのもなんですが、須賀川市は『観光の街』という印象は薄いです。東北新幹線の停車駅を持つ白河市郡山市ほど都心からのアクセスも良くなく、(何せ在来線の東北本線は30分や1時間に1本の本数しか運行していません)スキーシーズンを中心に多くの人で賑わう猪苗代周辺や、観光の街として栄える会津やいわきほどの知名度もない。そんな中で『町の賑わい』をどの様に取り戻して行くかについては、相当頭を悩ませた事でしょう。

 

 そこで須賀川市は郷土の偉人である円谷英二』の功績を街づくりの軸にする事にしました。(これは推測ですが)

 

 これに対しては様々な意見があると思います。

 実は、数年前に須賀川市から市民へのアンケート調査がありました。確か『ウルトラマンを用いた町おこしやモニュメントの設置』に関する郵送によるアンケートだったと思います。

 

 原文のデータを無くしたので何を書いたか記憶が曖昧なんですが、自分はそのアンケート用紙の解答欄では書ききれないだろうと思って、最初から『以下別紙』としてA4の用紙4枚分程度に要望や意見を書き殴って同封しました。(面倒なオタクムーブ)

 担当者に読んで頂けたかどうかは分かりませんが、確かこんな内容です。

 

東京都現代美術館で開催された特撮博物館』が大盛況だった事。(自分も行きました)

・同じ福島県の三春町にある福島さくら遊学舎で福島ガイナックス(現・福島ガイナ)によって主催された『特撮のDNA』展が盛況だった事。(これも行きました。そしてこの盛況が須賀川市民として悔しかった)

なぜ円谷英二の出身地である須賀川市で、これらの展覧会が開けないのか。また須賀川市立博物館等の既存施設を活用して常設展示できないのかという事。(ちなみに、今はどうだか知りませんが、自分が子どもの頃に博物館に常設展示されていたのは『シュガロン』のスーツ1体だけでした。なぜシュガロンなんだ・・・。そしてアレはまだ博物館にあるのか?)

なぜ須賀川市ゴジラに関連した町おこし事業を継続できなかったのか。止めるべきではなかったのではないかという事。

 

 そして上記の内容に加えて、ウルトラマンによって町おこしをするのなら、中途半端で止めないで欲しい事」を書きました。より端的に言うなら『やるならどんな結果であれウルトラマンと心中するつもりでやって欲しい』的な事を書きました。当時の自分は特に「三春町に先を越された事」が悔しかったらしく、多分怒っていました。(三春町の方、いらっしゃったら申し訳ないです)

 

 そして今、中心市街地にある須賀川市民交流センター『tette(テッテ)』内には円谷英二ミュージアム(現在は令和3年2月13日に発生した地震の影響で休館中)ができ、上で書いた様に須賀川特撮アーカイブセンター』ができました。須賀川市は今度こそ本気で『特撮の町』を目指そうとしているのかもしれません。

 

s-tette.jp

 

www.city.sukagawa.fukushima.jp

 

mediag.bunka.go.jp

 

 これには、もちろん賛否があるだろうと思います。

 

 市民の全てが特撮に興味があるかというとそうではないだろうし、『円谷英二ミュージアム』も『須賀川特撮アーカイブセンター』も入場料無料で開放されています。そうした施設の運営費や、市内のモニュメントの整備費、維持管理費がどうなっているのか気にする方もいるでしょう。先のアンケートにしても、明確に『反対だ』という意見を送った方もいると思います。

 

 自分としては、これで少しでも地元が活気付いてくれれば良いと思いますが、それは全ての市民の願いではないかもしれないし、これが地域振興にとってプラスになるかどうかは未知数です。でも、ここまで来たら『特撮で地域振興をやろうとしましたが失敗したので事業を打ち切ります』という訳には行かないと思います。

 

 特撮が観光資源にならなかった。地域振興に繋がらなかった。人口減少が止まらなかった。

 

 これは、十分考えられる事です。元から観光地としてのポテンシャルが高い訳ではない地元須賀川市の人間として言わせてもらえば十分あり得る話だと思います。

 

 でも、須賀川市がこれからやろうとしている事は、特撮文化というものの力を借りた文化財の活用』による町おこしです。そこにある文化財は、須賀川市須賀川市民の所有物ではありません。それらは『円谷英二の出身地であり、特撮文化に対する理解がある町、須賀川市』という『信用』によって、『一時的にお預かりする事を許されている文化財=宝』です。その信用が維持されるかどうかはこれからの頑張り次第であるとも言えます。だからこそ繰り返しになりますが、仮に町おこしの成功という結果が伴わなかったとしても、途中で投げる訳には行かない。そういう責任を、自分達の住む市は担ったという事です。

 

 文化財を観光資源として活用する事は、多くの地方自治体で行われている事です。でもそれらが、過去・現在・未来からの『預かりもの』であるという事は忘れてはならない点だと自分は思います。自分はこれでも一応『仏教美術』という文化財について学んだ人間でもあるので特にそう言いたくなるのかもしれませんが、文化財を活用する』のは今を生きる自分達の都合でしかなく、その成否とは別に、文化財を守って行く責任は我々にあるという事です。須賀川市はその責任を引き受ける選択をしたのですから、「今度は『消えたゴジラの卵』の二の舞にならない様にしっかりやって行きましょうよ」という事です。

 

 長々と書きましたが、これは多分そういう単純な、でも重要な話なのです。