老犬虚に吠えず

社会問題について考える場として

40代のおっさんが創作BL小説を書いたら人生観が変わった話をする

 10月は1回もブログを更新しなかったんですが、ここを放置して何をやってたかというと、小説書いてました。まあアマチュアなので長編でもないし「これから公募新人賞に出すぞ」とか「自分もいつかプロ作家になってやるんだ」みたいな夢を抱いている訳ではないんですが(20代の頃は作家になりたかった)「また書きたくなったから書いた」としか言えないです。それもストレートの40代男性が、人生初の創作BL(ボーイズラブ)小説を。

 

 この記事のタイトルを読んで「釣りですか?」と思われた方がいるでしょうし、社会問題について語る場として設けたブログで何を血迷ったと思われるでしょうが、ちゃんと書いたよ、という意味で、ちょっと恥ずかしい気もしますが拙作を置いておきます。念の為、18禁とかではないです。まあ中年男性が書いたものなので、これが創作BL小説の枠内にちゃんと入っているのかというと若干怪しいですが、そのつもりで書いてはいます。

  

www.pixiv.net 

 さて、まず「何で書いた?」という話になると思いますが、きっかけは9月25日の足立区議会で白石正輝議員が「LだってGだって法律に守られてるじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」などと発言した事でした。

 

 このブログでも過去に言及しましたが、自民党衆議院議員杉田水脈氏が新潮45に寄稿した『「LGBT」支援の度が過ぎる』という記事があります。その中で杉田氏は『彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです』という発言をして大問題になった訳ですが、要するに白石議員の発言はそれと同類だなという気がしました。その後発言は撤回されるのですが、問題視された当初は「謝罪も辞職もしない」というコメントを出していた時期もあり、政治信条としてその様な方なんだなという気はします。またその後、春日部市の9月議会で井上英治市議が、同市の市民からパートナーシップ制度導入や差別撤廃を求める請願書が提出された事に対して『左翼の作戦』と発言した事が明らかになるなど、この少数派に対する厳しい態度は保守派を自認する政治家の中で標準化されている気さえします。

 

 そんな中で、創作界隈で最初に動いたグループがありました。

 『足立区滅亡創作SFアンソロジーという同人誌の企画がそれです。

  

privatter.net

 コンセプトの項目に書かれている通り『百合やBLで滅亡する・滅亡した・しそうな足立区』を描くという企画で、主催者は、半分程度は差別的な市議の言動に対するカウンターとしてこれを放つつもりだったのだと思います。おそらく残りの半分は「世界が滅ぶ系の世界観で描かれる恋愛はエモい」的な、作家特有の「この題材で書いたら良いものが書けそうな気がする」というエゴです。自分もそういう所はあるので分かってしまいます。自分の思い違いだったら申し訳ないですが。

 折しもSF小説界隈ではSFマガジンが『百合特集』を組んだ事に大きな反響が寄せられたりするなど、『百合とSF』というものが注目される様になっていました。

 

 しかし結果としてこの企画は主催者の想像以上に拡散され、批判される事になります。

 「実際に差別を受けて苦しんでいる人がいる問題を、創作の『ネタ』にして楽しんでいいのか、『消費』していいのか」という批判です。実際にLGBTの当事者の方々が、「自分達は昔からここにいるし、自分達がいたって足立区は滅ばないよ」という意思表明を『私たちはここにいる』というTwitterハッシュタグを使って発信し始めていた事もあり、この同人誌の企画は中止されます。

 

www.huffingtonpost.jp 

 自分はこの騒動を遠くから眺めていて、なぜか悲しかった。そしてふと思ってしまいました。

 「風刺とか、自分の創作活動のネタとかじゃなく、実際にこの問題で困っている人に寄り添う様な形での創作ってあり得ないものだろうか」と。でもそれは難しい事です。自分自身が「ネタにするつもりはない」と考えて書いたとしても、その問題の当事者が「ネタにされた」「面白おかしく消費された」と感じる事はあるからです。

 

 自分は福島県民なのですが、「東日本大震災原発事故を題材にした創作物とどう向き合うか」という事を考える時には、やはり複雑な感情があります。過去に別のブログで岩井俊二氏の『番犬は庭を守る』という長編小説の感想を書いた事がありますが、ここに書いた事は当時の、偽らざる自分の気持ちです。

 

dogbtm.blog54.fc2.com

 過去の自分の発言を振り返れば、冒頭に挙げた小説も書くべきではなかった。そう思う事もあります。今からでも削除して『無かった事』にするべきだろうかと悩んだ事もあります。差別を受けている人をネタにした小説だと思われるかもしれないし、そもそもプロでもない自分の実力では上手く書く事はできないかもしれない。でも書こう。書きたい。そう自分は思ってしまいました。そして公開する事にしました。それは自分の中のスイッチを入れられた様な感覚があったからです。

 

 自分が白石議員の議会発言やコメントを見ていた中で『この発言がスイッチになった』というものがあります。それは氏が問題発言後に受けたインタビューの中での言葉でした

  

mainichi.jp 

 この中で白石議員は『これまで、LGBTについて学んだことは?』と聞かれ「私のまわりにはまったくいないし、ニュースの報道の範囲しか知りません。会ったことがない」と答えています。 要するに、「会った事もない人たちの事なんか知らないし、大した問題だと思っていない。勉強するつもりもない」と言っているに等しい訳です。あまりにも想像力がない発言だと思います。自分がここで言う『想像力』とは『思いやり』の事です。

 

 そしてこれは、過去の自分に跳ね返ってくる言葉でもありました。

 

 自分は紆余曲折を経て、今は社会福祉法人障がい者福祉に携わっています。生活支援員ではないですが、裏方として。施設には障がい支援区分が5や6(6段階で6が最も重い)の重度知的障がい者が多くいます。そして恥ずかしい事ですが、自分もまたこの仕事に就く前は、障がい者福祉の事など何も知りませんでした。想像した事も無かったし、自分が暮らす地域にこんなに多くの障がいを持つ方やその家族が暮らしていて、それぞれ悩みや困り事を抱えて生きているんだなんて事を知らずに生きてきてしまいました。そしてもしかすると、現職に転職しなければ一生知らなかったかもしれない。何だ、白石議員と同じ事を自分もしてたじゃないか、という事です。白石議員を批判した自分の言葉が跳ね返って来て心臓に突き刺さった訳です。自分もまた想像力がない、思いやりがない人間だったなという事に気付いてしまいました。

 

 だったら、今からでも想像力を発揮してみるしかないんじゃないか。

 

 それが創作の動機の半分です。

 40代の、LGBTの問題に直接触れた事も無いストレートのおっさんが、調べられる範囲で調べて、残りは想像して、自分自身の悩みも投影して、自分が作った架空の登場人物たちを通して絞り出せるものを全部絞り出したら、同性愛者である事で悩んでいる人たちの気持ちを言葉で表す事ができるか。彼等の理解者や支援者を表す『ally(アライ)』になれるなんて思いもしないけれど、それでも何も知らないままこの問題について「あー、自分にはわかんないですね。自分はゲイじゃないから」みたいな態度でいいのか。

 

 そう思ったのです。成功したかどうかは分かりません。

 

 そして残りの半分の動機は怒りでした。今思えば完全にキレていました。

 それは『人間の想像力を舐めんな』という事です。

 

 自分は小説が好きです。昔うっかり大学のサークルで「SF小説が好きです」って言ったら「こんな読書量でSF好きだとか名乗んな」って全否定された事を一生忘れないと思いますがそれはそれとして小説が好きです。読書が好きです。だから知っています。

 

 自分たちは、想像力だけで宇宙の果てにだって行けるんですよ。

 作家も、読者も。

 

 そんな場所に行った事がある人なんて誰もいないけれど。何なら時間も世界も超えて、自分がまだ見た事もない場所へ、現実には一生辿り着く事がない場所へ、自分たちは行ける。宗教的な概念とか『悟り』みたいなものも人間の想像力の結晶の様に思う事はあります。まだ世界のどこにも存在しなかった概念を、確かに自分の力で掴み取った人がいる。想像力を駆使する事によって。

 

 それを「見た事が無いものや聞いた事がないものなんてわからなくて当然ですよね。知る必要も感じないですね」っていう態度で来られたら、それは人間の想像力の敗北であり、言い換えれば思いやりの全否定じゃないですか。だから直接白石議員に「あの発言を撤回しなさい。もっとこの問題について勉強しなさい」っていう直接的な抗議をする方が手続きとして正当なんだろうなと思いつつも、自分はそれと違う方法で、想像力を駆使する事でカウンターを入れてやりたかった。そういう気性の荒さというか、短絡的な所が自分の中にもあった。だから自分は『足立区滅亡創作SFアンソロジー』に関わった人たちを笑えないし、全否定する気にはなれないんですよ。「お前もやっぱり同類だろうが」って言われたら、一緒に怒られるしかない。怖いんですよね。この文章も、ここまで書いて消すかどうか今悩んでいるくらいには。でも結局、創作ってどんなに理由を後付けしてもその根源的な動機って自己満足じゃないですか。

 

 自分が書きたいから、書いた。

 

 それ以外の理由って全部後付けなんだろうなと今は思います。怒られても仕方ない。

 でも、自分はもう書いてしまったし、その事で叱られる事があったら叱られよう、間違いがあったら、勉強し直そう。そう思う事にしました。そうする事が、「本当は謝罪も発言撤回もしたくなかったけど、周りに言われて渋々謝った」かの様に思われている白石議員の姿勢に対する、自分自身の回答になればいいなと思います。自分もそうだった様に、自分自身の無知に気付いて、痛い目にあって、恥ずかしい思いをして、知ろうと思わない限り人間って変わって行かないですよ。特に大人は。(自分が立派な大人であるかどうかは別として)

 

 だから「自分は当事者じゃないから、~の問題には何も言えないな。言うべきじゃないな」っていう事はLGBTの問題に限らず色々とあるし、(先に挙げた原発事故の問題とか)「当事者でもないのに黙ってろよ」っていう怒りが湧く事もある。お互いがそう思う事は、それはそれで自然な事なんですが、自分はその考えを少しずつ改めて行く事にしました。障がい者福祉でもそうですが、当事者以外の理解者を増やして行かないと、結局世の中の仕組みを大きく変えて行く事はできないんですよね。多数決による意思決定が社会を動かしている限りは。

 

 だから自分は、自分が得た気付きを、忘れない様にここに書いておく事にしました。

 多分、これからも考え続けるだろうと思います。