24時間テレビをぶっ壊されては困る理由①
24時間テレビは毎年批判されている。
「出演者にギャラが支払われているチャリティー番組って何なんだ」とか、「芸能人がマラソンを走る事と社会福祉に何の関係があるか分からない」とか「障がい者をダシに『感動ポルノ』で金儲けか」「もう日本テレビが番組製作費を全額寄付した方が有意義だ」みたいな批判だ。
今年の24時間テレビも案の定批判の的になった。
デーブ・スペクター氏は自身のTwitterで
24時間テレビ、やっと終わりました。障害を持つ方へのサポートを目的にしているはずなのに、実際は広告代理店と企業の利益とイメージアップのために続けられている。僕は、本当のボランティアとは何かを、大好きな日本の皆さんに分かってほしいだけです。すみません、オチはありません。
— デーブ・スペクター (@dave_spector) August 25, 2019
【速報】デーブ・スペクター氏が「24時間テレビから国民を守る党」を結成へ
— デーブ・スペクター (@dave_spector) August 25, 2019
等、24時間テレビ批判を繰り広げた。
中でも「NHKをぶっ壊す」を連呼して国政に進出した「NHKから国民を守る党(以下N国)」をネタにしたツイートに6万7千件の「いいね」が付いている辺りが笑えない。
正直、自分も社会福祉法人の職員になる前は同じ様な『24時間テレビ不要論』を支持していた時期がある。
でも最初に言っておくと、それは間違いだ。
全ての批判が的外れだ、なんていう事は言わない。当然の批判も中にはある。でも24時間テレビを潰してしまうべきではない。
結論から言うと、24時間テレビが無くなったら、日本人が1年の中で「障がい者や社会福祉について少しでも考える日」は無くなるだろう。(パラリンピックは4年に1回しかない)そして跡を継ぐチャリティー番組も生まれずに終わる。だって皆、本当は社会福祉に対する関心なんて無いんだから。
繰り返すが、福祉関係者や福祉サービスの利用者以外の日本人は、皆社会福祉なんてどうでもいいと思っている。障がい者に対する関心なんて最初から無いのが普通だ。なぜなら、自分の視界に入らない事、自分にとって関係がない(と思っている)事に興味がないのは当たり前で、自分自身が福祉サービスのお世話にならない限りその必要性に気付く事は無いからだ。
例えば「自分はNHKなんて見ない」という人はN国を支持するだろう。NHKがぶっ壊されて放送が停止しようが自分には関係がないからだ。でも、NHKを頼りにしている人は、勝手にそんな事をされては困る。24時間テレビも同じ事だ。仮にデーブ・スペクター党首が「24時間テレビをぶっ壊す」と連呼したとしても個人の自由だから構わないが、貴方が批判しているものを潰されると困る人間(「番組の利権で食っている人」という意地悪な意味ではなく)がいる事は前提として理解しておくべきだ。
「24時間テレビをぶっ潰して、もっと良いチャリティー番組を自分が作る」というのなら別だが、では毎年批判されている24時間テレビを脅かす様な『真っ当な』チャリティー番組が、なぜ他局から生まれないのか。なぜチャリティー番組は日テレの専売特許の様になっているのか。その他大勢の日本人の社会福祉に対する『関心の無さ』が、24時間テレビを批判する人々の多さとは裏腹に、あの番組を長寿番組にしているのではないだろうか。
結局、自分が24時間テレビをぶっ壊されると困るのは、あの番組が無くなる事で、今度こそ本当に誰も障がい者の事なんて見向きもしない様な世の中が出来上がるのが目に見えているからだ。
ちなみに蛇足ではあるが、Google検索に『24時間テレビ 福祉車両』と書くと『24時間テレビ 福祉車両 見たことない』という候補が出て来るのだけれど、24時間テレビの福祉車両を街中で見かけないのは、福祉サービスを必要とする老人や障がい者が一般人が暮らす生活圏内から離れて暮らしているせいであって、この事からも障がい者が社会から阻害されているという事が分かると思う。