老犬虚に吠えず

社会問題について考える場として

開き直りと、捨て鉢で生きて行く人の辛さ

 最近、身の回りで色々な事があって物を書いたり読んだりしている心のゆとりが無く、正直「生きてる感」があまりしないんですが、それでも書いておいた方がいいかなと思ったので書きます。

 

 これから書く上で、自分の個人情報をあまり明かしたくないので個人名や内容は出しませんが、まあ実話だと思って下さい。といっても過去の記事等を読めば特定は簡単でしょうから、あまり掘り返さず、「ああ、こういう人はいるよね」「こういう事ってあるよね」と身近な問題に置き換えて考えてみて下さい。

 

 さて、「有名になりたい」「お金が欲しい」みたいな事って誰でも考えると思います。自分もお金は欲しいなーと切実に思います。何か選択する時に、お金がない事がネックになって片方の選択肢が選べないっていう事は多々ありますが、それが完全に無くなる事はないにしろ、選択肢が増やせる程度にお金があった方が生きやすい事は確かです。

 

 で、その「有名になりたい」「お金が欲しい」という欲求を満たす為に何をするかって人それぞれだと思いますが、中には「別に他人に迷惑がかかろうが構わない」っていう人がいます。そういう人とはなるべく関わり合いになりたくないんですが、ちょっと個人的に接点が出来てしまい、嫌な思いをした、という話です。

 

(ちなみに、自分は『絶対に他人に迷惑をかけるな』とは言っていません。そんな事は不可能だし、『お互い様』の精神で生きて行く方が皆幸せになれます。ここでは『故意に他人を食い物にする』類の行為を、良くないのではないかと言っています)

 

 自分が直接、具体的に何か酷い事をされたという訳ではないので安心して頂きたいんですが、まあ他人を介してちょっと巻き込まれたくらいの関係です。

 

 奥歯にものが挟まった様な書き方で申し訳ないんですが、そんな事があって、相手はどんな人なんだろうと調べてみたら、最近の流行に乗っかって色々な事に手を出している人だという事が分かりました。

 

自称青年実業家

様々な事業を立ち上げるが、中には法的にグレーなものもある

地方選挙に何度か出馬する(いずれも落選)

ユーチューバー活動(若干不謹慎系?)

 

 箇条書きにしても、結構「ありふれてるな」って思います。今は居ますよね、こういう人。

 

 自分は彼が経営する、ある事業で接点が出来たんですが、正直こんなにナメた方法で、相手先に迷惑がかかる事を承知の上で「楽して金が取れるからやる。だって違法じゃないし(かといって完全に合法でもないけど)」を地で行かれると「もう少し体裁を取り繕え」とは思います。少しはオブラートに包めよっていう。

 

 恐らくですが、彼には『お手本』がいるんだと思います。『目標』と言い換えてもいい。

 

 彼がやっている事業にしても、全国的に見て新しい、オリジナリティがあるっていうものではないんですよ。既に他の誰かが立ち上げた後で、話題になったサービスを自分でもやるっていう形を取っている。だからまあパクリというか、後追いですね。それを競争相手が少ない地方でやる。そこに勝ち目があると彼は思っている。

 

 地方選挙に立候補する事も、競争相手の少なさという意味では同じ事で、まあ当選すればラッキーだし、落選しても売名にはなるっていうスタンスでやっていて、それは正直、NHKから国民を守る党の立花孝志氏とそのフォロワーがやっている選挙活動と大差ない訳です。(あそこまで過激ではないですが)本気で国政や地方自治に取り組もうとしている訳じゃない。N国の候補者は政見放送でメチャクチャな事を言ったりして、当然批判もあるけれど、名前が知られる様になれば応援してくれる人も増える。立花党首は「1000万人から石を投げられても、10万人のコアなファンがいれば一定の発言力が持てるし飯が食える」っていうビジネスモデルを実践した人なのかなと思っているんですが、自分が接点を持った彼も、恐らく立花氏の様な人の生き方をお手本にしているのだろうと思います。

 

 自分の欲望に忠実に、承認欲求を満たしながら、なるべく楽にお金が稼ぎたい。もしそれが可能なら、他人に被害や不快感を与えても構わない。だって他にも同じ様な事をやってる人がいて、彼等はテレビに出て、SNSでは桁違いのフォロワー数を持っていて、動画だって凄く再生されている。応援してくれる人達が大勢いる。羨ましい。自分だってそうなりたいし、なれるはずだ。手段を選ばなければ。

 

 そんな価値観で生きようとしている人を見掛けた時に、自分にできる事って何だろうと思うんですよ。もちろん自分自身が被害を受けない為には距離を取った方が良い訳ですが、逆に彼等の価値観を放置しておくと、開き直りと捨て鉢を生存戦略に選ぶ人が増えて、どんどん世の中が荒れて行く気がするんですよね。実際にはもう手遅れなくらいそうなっている気もしますが、何より自分は彼等の背後に『辛さ』を感じるのです。特に立花氏の様なその道の「先頭集団を走っている人」ではなく、「彼等を追い掛けている人達」の方に。

 

 思いやりなんか無くていい。倫理観なんてかなぐり捨てればいい。自分さえ良ければいい。

 だって真面目に生きていたって、社会はそれに報いてくれなかったじゃないか。

 

 そういう種類の『辛さ』がある。言い換えれば、『やるせなさ』がある。

 

 『善く生きる』事に見返りを求めたら、それはもう『善く生きる』とは言えないのではないか、というのは誰しも思うでしょうが、実際問題として、真面目にコツコツ生きている人が報われる事なく、迷惑系ユーチューバーだろうが無責任政治家だろうが何だろうが、手段を選ばなかった者が勝つ社会では、『善く生きる』事に対する動機付けが弱まって行く様に思います。そうして、『善く生きようとしたのに報われなかった自分』というものを見付けてしまう時、自分達の倫理観は反転するのかもしれません。

 

 『もうどうでもいい。自分は自分のやりたい様にやってやる』って。

 

 でもその『やりたい様にやる事』って、皆が本当に最初から『やりたい事』だったのかなっていう疑問はある訳です。たった今『開き直った』だけ。たった今『捨て鉢になった』だけ。その結果のやぶれかぶれが、自分が本当に『やりたい事』だったのかって、相当疑わしいと思いませんか?

 

 こう言うと、「本音で生きる勇気もない臆病者が、何か負け惜しみを言って自己弁護を始めたぜ」って言われるでしょうし、そういう側面が無いとは言いませんが、もしも普通に善く生きようとする人達が幸せに生きられる社会があれば、他人を踏み台にしなくても生きられる訳じゃないですか。『北斗の拳』で、モヒカン刈りにトゲ付き肩パッド姿で略奪行為に走っている連中だって、地球が核の炎に包まれなければ気のいいバイク野郎として生きて行けたかもしれないし、きっとそっちの方が良かったに違いない。自分が気にしているのは、平たく言えばそういう事です。

 

 この今の社会のダメさ加減の象徴としての『批判を無視して自己中心的に立ち回った奴が勝つ』風潮。それは本当に自分達が目指すべき方向性なのか、疑った方がいいと自分は思います。傍若無人な個人を批判するだけではなく、社会全体の価値観を是正しなければならない。そう感じます。

 

 加えて最後に。自分と接点を持った彼について。決して個人を特定されたくはないですが、どこかで彼にこの文章を読んで欲しいなとは思います。自分の事だって気付かなくてもいいから。決して改心して欲しいなんて上から目線の事は言いませんし、言えませんが、ちょっと立ち止まって、自分自身の事を考え直してもらいたいと思います。次に会う時は、握手したいとまでは言いませんが、互いに会釈しても気まずくない程度の関係にはなりたいと思うので。